宝物になった親子英語ブログ
大変ご無沙汰しています。12年ぶりの更新です。 今日はゆるっと楽しんだ幼児期の親子英語をふとふりかえります。 KENは大学生になりました。 そしてこのブログはわたしと息子と娘とのとても大切な思い出、宝物になりました。 最初に悲しい報告をすると、娘yu-kaは病気で13歳で生涯を終えました。 統合失調症を小5、小児で発症し、どの論文を読んでも小児で発症するとつらい結果が多かったです。 劣等感のかたまり、理想と現実とのギャップに苦しみながら治療を続けた娘でしたが、守り切ることはできませんでした。 1年半以上と長期の入院となりましたが、その期間中、英語ドリルをしながら英語だけはやっぱり好きだ。 自分の自信を保てる唯一のよりどころ・・・と言っていたyu-kaの言葉。 そしてののこったyu-kaとの思い出の記録のブログ。だからこのブログは宝物です。幼児期から英語を始めた男の子が大学生になったらどうなった?
そして話はKENのその後です。 KENの現在は高2で準1級取得、受験終了でTOEIC800点台、という英語力です。 理系男子なので今は理系大学に進んで毎日悶絶しながら課題をこなし、毎日授業がおわったら遅くまで図書館で 勉強、という毎日です。 いわゆる最前列組大学生になりました。 行動の振れ幅の大きい 知的好奇心が実は旺盛だった。 これがいまの息子をみて思うことです。小学生〜中学時代
KENは小3-小4だったか。わたしがとうとう多忙すぎて英語を親子で楽しむこともままならなくなってきました。 小学校の学童もつまらないというので、学童がわりにいくつか習い事をしてまして、その一つがくもんでした。 KENにはあってたのか、1年半でJ1?あたりかなそのあたりまでおわり(数学も中3ごろまでおわっちゃったような) これ以上先取りしても仕方ないなということで、その後は、小5からは普通の進学塾に学童がわりに預けることになりました。 ということで、KENの英語は小5〜ストップ。中学では特に塾にも何もかよってなかったので、中学校の英語のみです。 というのも、yu-kaが小5、KENが中1の時にyu-kaが統合失調症を発症して治療とわたしの仕事の両立、わたしの離婚と それどころではなかった、、というのが正直なところで、中学3年間彼にはほとんどかまってやることができませんでした。 しかしなぜか彼は英語力を維持していたようです。 その御恩はなにかというとなんと「マインクラフト」でした・・・。 小4の時に彼が出会ったマインクラフトですが、当時日本未発売、ユーロ建てでソフトを購入して日本語化パッチもあててみたんですが 結局、情報が日本にあまりない、、とのことでWEBで検索して有用な情報はすべて英語だったらしくそれを読んで、 コードをダウンロードしてきては、マインクラフトをカスタマイズして遊んでたようです。 建築作業も同じことのくりかえしなんで、面倒になると、調べてコードをダウンロードしてぼちぼち書き換えて自動化で 時間短縮なんてことやってたっぽいです。 そういえばYOUTUBEからよく英語の音声がながれてたな・・・ 彼は結局小4からマインクラフトオンリーな男子でいまもマインクラフトしかゲームやってません。 おそるべしマインクラフト。。。 ただ、これは結果論から言える話なんですが、マインクラフトにはまった息子の中学・高校時代は マインクラフトしかやってないんじゃないか?というひどいものでした・・・。 中学生の時、yu-kaの闘病が大変な時ですね。。。彼は、今思うとゆるっと反抗期で頑固に彼の信念をつらぬきます。 ●宿題って作業だよね。意味を感じない。 ●朝の学活?意味ないよね。1時限目の授業にまにあうように学校にいくよ。 ●毎日授業はきいてるの?→たまに興味深い話があるのでそれを期待して学校にいってるんだよ。 ●興味深くなかったら?→ねてる ということで、、それ以外は何も問題はない素直なチューボー息子でしたが、ここだけは頑固でゆずりません。 結局、そうか、おもうようにやってみて問題だと感じたら修正するといいよ。 (中間期末のテスト結果みても問題ないくらいよくできてるし大丈夫かな?←甘い考えの母) と、言ってたら彼の中学の通知簿は1と2が並び、 お情けのようにテストの点数がすこぶるよい数学、英語だけ3をいただける そんな素晴らしい数字として学校の評価をうけておりました。 やる気になるまで仕方ないか・・・と見守ってはいたものの、高校を選ぶ段になり、問題が生じました。 行ける高校が超底辺しかない👀 そんなわけで、この子が超底辺高にいってもまた中学の繰り返しか、 彼の興味をそそる授業を聴けることなんてなさそうだな、 ということで、N高等学校へ進学しよう!となりました。 ここでああ私も娘の闘病と仕事の両立が厳しくなり休職に入りました。そういうこともあって、息子の進路と、「勉強する習慣が全くなくなった」というのは問題だなぁと、いうことで、3か月間だけ家庭教師を契約して、彼はここで数学、作文、英語(Grammaer in USE)をやりました。 Grammaer in USEはこの時点で完遂です。 そうして彼のN高生活が始まります。コロナ禍とN高等学校
N高生活が開始しました。 彼の中学校の内申点と協調性のなさから、許されたのは週1登校から。 プログラミングコース(週5コース)を希望していたんですが、彼の作文力のなさとアピ力のなさで落とされました。 (希望すればだれでもいれてくれるとおもってたので想定外ではありました・・・) N高代々木高に入学したんですが、説明会に行った際、ORT(Oxford Reading Tree)が全巻おいてありまして 英語教育をわかってるいい学校だわ、とわたしもここでいいじゃん、ってなりました。 しかしながら、入学と同時にコロナ非常事態宣言がだされ、登校で行うグループワークもオンラインで行われることになりました。 そもそもN高なので履修内容は動画教材がそろっており、自学自習得意な彼は問題なく単位を取得していきます。 ということで、コロナによる登校制限が解かれるころに週3登校/特進クラスに変更幼児期から英語を始めた男の子が大学生になったらどうなった?
そうです、わすれてました。英検です。 高校受験で内申点に英検が加点されるのを知り(おそい・・・) 中学卒業前にお記念で3級受験、過去問とかせたら満点近いのでそのまま受験させて無事合格 準2級〜2級までも3級と同様で特にやることなくすらっと合格しました。 準1級は過去問1回では一次通らず、過去問3回やっていただき、合格発表から10日後には二次だったため、 家の近くの英作文専門塾に行かせて、対策していただき合格することができました。(高2) 「僕準1級、いままでの3倍がんばったんだよ、3回分過去問といたんだから!」 と言っていたKENの言葉が母的にわすれられません。それで合格するのはみんなうらやましいやつだから・・・ いまもそうなんですが、彼はTOEICパートもヒアリングパートは対策なくとも高得点です。 このあたりはもう幼児期にやってた親子英語で耳ができあがったのが一番よかったんじゃないでしょうか。 問題は、英検の際は作文、TOEICは時間内に解ききる、、これです。大学受験英語/大学受験対策の話
彼はとりあえず、理系国公立大学を第一志望としていました。 大学受験英語は、TOEIC準1級2次対策でお世話になったところが高校卒業まで面倒みたいといことなので では、よろしくお願いします、ということでそこに週2で通ってたこと あとはN高等学校のクラス分けは帰国子女クラスにいたことくらいで、彼が必死になって英語を勉強した姿はみたことはありません。 もう本当に幼児期の英語さまさまでした。 しかし、また問題が勃発します。 「僕、受験テクニックを習得するだけの勉強方法きらいみたい」 ということで、高3夏休みに受験勉強を開始した彼は9月に入り受験勉強をやらなくなり、 マイクラ生活にどっぷりとはまっていきます。 マイクラ大学にでも入るつもりかしら・・ とヌルっと見守ってましたが、さすがに年があけてお正月に私大のすべり止めどうした?ときいたら 決めてないというじゃありませんか・・・・。 ということで、また家の近くの個人指導塾に電話かけまくって1件、相談にのってくれるところを発見。 その日のうちにその塾で私大の志望校を選定していただき・・ぎりぎり私大4つ願書だしました。 その後、彼、ようやく受験生モード開始。即コロナ罹患、 共通テスト再試コースの1月28.29、私大2/1〜2/10まで というハードなテスト地獄がむしろテスト勉強になっているという 不思議な現象でしたが、私大第一志望はきっちり英語と数学のおかげで合格。 そこでさらにやる気をだして、国立用の勉強をしはじめた息子でしたが、 生物いまからだよ、とかいう息子が合格する見込みはあるというので マイクラを封印して頑張る息子に。振れ幅大きい・・・ それはよう・・とおもいつつ母はぬるっと見守りまして 結果、2023年春からは第一志望の私大へ進学。国立はだめだったけど 息子は第一志望受からなかった、というよりも、どの塾関係者も学校関係者も その私大受かるだけで大金星、、(私もそう思いました・・)という状況だったこともあるのか? どうやら彼は国立だめだったけど頑張れる自分がいるんだ、というポジティブ体験になったようです。 息子よ最後頑張っただけえらい!(´;ω;`)母はそのお姿をみれただけで感動。 勉強しろ、と、いいたいのをぐっとこらえて、 息子なら、スイッチ入れば大丈夫、息子を信じようと 見守ってきたのがよい結果となりました。あくまで結果論だとおもってます。幼児英語教材処分の話
さて、最後に親子英語で使ってきた英語教材をいつまでもっていたか、、 というと、娘が亡くなるまでずっと持っていました。 また娘が、日常生活をぎりぎりでもいいから送れるようになったときに また手がのびて、あ、楽しかった思い出だ、と思い出してくれたらな、 と。 娘が亡くなったあと、わたしは1年ほどショック状態でした。 PTSD障害、自律神経のバランスまでくずし、 私よくいまも生きてるな、と思うほどひどい状況のころはありました。 娘の闘病生活時に読み漁った論文、精神疾患の本、マインドフルネス、カウンセリングの本心理学の本 精神疾患や精神の不調に対する対処の知識だけは豊富になっていたので もちろんそれは娘のために得た知識、娘のために使い続けたかったと思いながらも わたしは生きている、娘が与えてくれた知識だ自分に使おうという考えになったこと それと、一番勇気づけられたのは娘の同級生からのお友達からいただいたたくさんのお手紙でした。 お手紙には娘との思い出がつづってあったり、娘が元気な時も、そうでなくなったあとも まわりのお友達を勇気づけてた行動をしてたのを知りました。 そしてみな、一様に、「yu-kaの分もしっかり生きるからね」 と悲しみながらも同じように かいてあったんです。 そんな思春期の純粋な言葉、思いにたすけられたのは、 yu-kaが助けてくれたのと同義。 本当は、ずっと幸せでした、 とか 紆余曲折あったけどなんとかなりました なんて yu-kaのことも書きたかったけど。 事実を受け止めて、受け入れて、そして生きている人に目をむけていかなきゃね と、いう思いの中、すこしゆっくりとした毎日をすごしています。 振り返ればあっという間 いまは完全にこどもの手が離れてしまって 自分の時間ばかりで何しよう?と、趣味をみつけてます。 そして、本棚には Oxford Reading Tree全巻が わたしとyu-ka,KENとの大事な思い出 として いつも目にはいるところに鎮座しています。 素敵な思い出をありがとう。Oxford Reading Tree。
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